スタッフのつぶやき

先日初参加してくれた方。実は結構前からの知り合いで、私たちが主催するボランティアの参加者であった。
友達同士で参加した彼は、とても明るく、流行りのTVドラマ、歌手などのモノマネをしては友達とじゃれあい、ふざけあっていた。
ほぼ企画のたびに参加してくれたりしていたのだが、企画の間隔が伸びてしまったり、開催できない年もあった。

しばらく経って、彼が仕事を変えたり、少し苦労しているのかな、ということを耳にした。

deco boko BLUESを開業し、彼と久しぶりに再会した。
挨拶もしっかりできるし、人に気を使ったり、自分から「何か手伝いましょうか」と声をかけてくれる、とても「いい子」である。
ただ気になったのは、前みたいな、弾けるような笑顔がなかったこと。

知的障がいを持っている方の、障がいの程度はとても広い。乱暴な切り方だが、発達年齢だけでも0〜小学生くらいまで。だからと言って、その年齢相応のバランスよく発達するのではなく、記憶はとてもいいけどコミュニケーションがちょっと独特だったり、会話ができるけど文字を書くのが苦手だったり、各個人によって大きく違う。
その中で、「幼さ」と言っていいのかどうかわからないが、言い換えれば「純粋さ」だろうか。それをずっと持っている場合がある。友達と時にはいたずらして笑いあったり、子ども時代に好きだったことをずっと大人になっても持っていたり。

だが、社会の中で生きていく上では、その「純粋さ」をある程度コントロールしていかないと、上手くいかない。それは障がい持っているかどうかに関わらずだけれど。

彼は朝5時台に起き、職場に通う。清掃の仕事を真面目にやっているのだろう。手のひらにマメが出来ていた。「仕事は厳しいです」とも言っていた。
社会の中で認められるよう、一所懸命適応しようとしている。それはそれで、立派なこと。
でも彼の表情が明るくないように見えるのはなぜ?

健常者も同じように「適応」を求められる「オンの時間」がある。社会生活をして収入を得たりするためには、ある程度はしょうがないかな、とも思う。

違いは「オフの時間の選択肢」かなと思う。友達と電話する。グチを聞いてもらう。楽しいことを共有する。飲みにいく。ドライブに行く。美味しいものを食べる。サーフィンをする。旅行する。選択肢はさまざま。
時にはハメを外したり、自分を解放して、バランスを取っているのではないだろうか。

知的障がいのある方の話を聞く限りでは、オフの時間の選択肢は多くない。友達と過ごす時間も休みが合わなかったりして、疎遠になって行くケースが多いように思う。

deco boko BLUES利用の初日。彼は最初は所在なさげに隅の方で座っていた。周りの利用者、スタッフにもとても気をつかっている。
それでもだんだん打ち解けて来て、時々見せる笑顔。初対面の他の利用者と「嵐」や「AKB」の話をしている。
みんなが帰った後も、「まだしばらくここにいていいですか」とスタッフとおしゃべり。
そして「明日も来てもいいですか」って。

楽しいオフの時間、これからも考えていこう。

台風が過ぎて、休み明けの月曜日。元気に仕事に行ってくれていたらいいな。